製薬業界におけるマーケティング職(マーケター)は、比較的難易度が高い仕事とされています。法令によって医療機関への訪問営業の規制が強化され、プロモーション戦略がデジタルシフトする中で、マーケティング職の重要性はいやが上にも高まり、やりがいのある仕事となっています。しかし、その具体的な仕事内容やキャリアパスについては、意外と知られていないのが実情です。
そこで、本記事では実際に製薬会社の営業部長職・マーケティング職を長く務め、多くのビジネスパーソンのキャリア・コーチングにも携わってこられた坂上田雅彦さんの監修のもと、そのキャリアを目指すために必要なスキルやキャリアパスに関して詳しく解説していただきました。この記事を読めば、製薬会社のMRから同業界のマーケティング職を目指す方や、製薬とは違う業界で現職マーケターとして働きながら、製薬業界のマーケティング職に興味がある転職志望者にとって、製薬マーケティングで活躍するための具体的な道筋が見つかるはずです。
目次
製薬業界のマーケティング職とは?
製薬会社のマーケティング職は、医薬品を市場に広め、売上を最大化するための戦略を立案・実行する役割です。実際に取り組む仕事は、医薬品の販売戦略の構築や国内外の関連部門との連携および調整、医薬品のライフサイクルの管理、プロモーションの実行など多岐にわたりますが、一般的な業務をまとめると以下のようになります。
- 市場分析と戦略立案
- 市場調査:疾患領域、患者数、競合製品の状況を把握
- ポジショニング策定:自社製品の強み・差別化ポイントを明確化
- 販売予測:売上予測モデルを作成し、販売計画を立案
- 製品プロモーション企画
- プロモーション資材作成:MR(営業担当者)が使用するパンフレット、スライド、e-learning教材等、教育研修部門と連携して作成
- KOL(キーオピニオンリーダー)連携:学会講演や勉強会を企画し、医師との関係を構築
- デジタルマーケティング:ウェブサイト、SNS、メールマーケティングを活用
- 社内外との連携
- 営業部門との協働:販売現場のニーズを反映し、MRへのトレーニングを実施
- メディカル部門との連携:科学的根拠に基づいた正確な情報提供を担保
- グローバル本社との調整:海外本社の方針に沿った日本市場戦略を策定
- 成果測定と改善
- KPI管理:売上、処方数、講演会参加者数などを定期的に分析
- 改善策の立案:プロモーション効果を検証し、次の施策に反映
製薬会社のマーケティング職は「科学的根拠に基づいた情報提供」と「売上目標の達成」を両立させる重要な役割です。市場分析力、戦略的思考、医療関係者との信頼構築、社内外調整力が求められます。
常にマーケットのニーズに耳を傾け、それを満足させる方策を考える能力や、医療現場の環境や疾病に関する専門知識はもちろんのこと、医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン、薬機法・広告規制の遵守が強く求められるポジションです。加えて業界特有の商習慣の理解も必要なことから、職業として難易度が高いといわれています。
製薬業界マーケティング職の転職事情と必要スキル
そもそも業界を問わず、マーケティング職自体が比較的難易度が高い部類の職種なので、業界未経験から転職するのは少々難しいと考えてよいでしょう。
1. 転職市場の特徴
- 求人数は限定的
BM(ブランドマネージャー)/PM(プロダクトマネージャー)などの中途採用は出ても少数ですが、新薬上市や適応拡大のタイミングで増えることもあります。 - 競争率が高い
MRや他職種から「マーケに行きたい」と希望する人は多いですが、“経験者採用”が基本。未経験での難易度は高いといえます。 - 外資系が中心
グローバル戦略に沿って動くため英語力は必須です。日系製薬企業も近年マーケティング強化を進めており徐々に採用は増えている傾向です。 - 領域偏重
オンコロジー、希少疾患、免疫・CNSで求人が目立ちます。プライマリ領域(風邪や糖尿病などの一般的な疾患を対象とする領域)は縮小傾向です。 - 待遇水準
PM(プロダクトマネージャー)/BM(ブランドマネージャー)で800〜1200万、マネージャー層は1200〜1800万。オンコロジーなど戦略領域は2000万超の場合もあります。
上記のように製薬業界においてのマーケティング職の人材ニーズは、外資系製薬会社を中心として断続的に発生しますが、それは企業側の事業のタイミングが関係しています。
人材ニーズの絶対数はタイミングによる
マーケティング職は製薬会社が自社内の人事異動でカバーするケースも多く、新会社設立や新しい事業部門の開始のようなタイミング以外は、求人案件の絶対数はそれほど多くないのが現状です。
大手製薬会社では同時に複数の事業部において、マーケティング職の求人が出ているケースもあります。一方、スペシャリティファーマにおいては、新製品ローンチや新たに日本法人を立ち上げるなどのタイミングで、マーケティング職の求人案件が登場します。
管理職級のハイクラス求人に関しても、マネージャーおよびシニアマネージャーを中心に、アソシエイトブランドマネージャーからディレクターまで幅広いポストで人材ニーズが発生します。
また、製薬業界ではここ10年余りで、グローバルレベルでの業界再編による企業統合が進行してきました。日本国内の製薬会社の多くが、昔の社名と変わっているのは業界再編、企業統合の結果です。
大手製薬会社によるバイオファーマの買収などでパイプラインの拡充を図り、バイオ医薬品の製造の拡大や遺伝子治療薬、個別化医療などの新たな領域も広がりを見せています。
こうした背景により画期的な薬効をもつ「ブロックバスター」から、未だに満たされない医療ニーズである「アンメット・メディカル・ニーズ」に応える方向性にトレンドがシフトしつつあるようです。
そのため、業界のマーケティング職求人においても希少疾患・中枢神経・オンコロジー・バイオなどの領域が大半を占める状況となります。
2. 必須スキル・経験
- 製薬業界知識
- 医薬品ライフサイクル(上市準備〜成長〜成熟〜特許切れ)
- 薬機法・広告規制の理解(プロモーション資材審査やMSL対応)
- マーケティング実務
- 資材作成、講演会・勉強会企画
- ターゲティング戦略立案(施設/医師のスコアリング)
- 売上・処方データ分析(IQVIA、レセプト、SFAログなど)
- 英語力
外資系では社内報告・本社調整を英語で行えるレベルが必須 - プロジェクト推進力
営業、メディカル、薬事、グローバルHQなど多部署をまとめる調整力
3. 歓迎されるスキル・差別化要素
- デジタルマーケティング
- CRM(Veeva, Salesforce)やMA(Marketoなど)活用
- オムニチャネル戦略設計、医師プラットフォーム連携(M3, CareNet等)
- データ解析力
- 患者フロー分析、継続率改善のKPI設計
- 講演会効果測定やROI評価
- 領域経験
オンコロジー/希少疾患での上市経験は非常に価値が高い - リーダーシップ
ブランド責任を持ち、P&L管理・戦略策定ができる能力
4. 求められるソフトスキル
- 論理的思考力
複雑なデータを整理し、戦略に落とし込む力 - コミュニケーション力
MRや医師、本社や多職種との調整力 - プレゼン力
社内外でメッセージを明確に伝える力 - 柔軟性・スピード感
規制や市場変化に即応できる適応力
上記で見てきたように製薬マーケティング職は「狭き門かつ高待遇」といえます。
MRからの転職では「プロモーション資材開発」「学会運営」「本社PJ参画」などの経験をアピールすると有利になるでしょう。
採用では “即戦力としての実務経験”+“英語力”+“データ・デジタル対応力” が大きなカギになります。ここからは必要とされる主要なスキルを個別にみていきましょう。
マーケティングスキル
マーケティングのスキルは一朝一夕では身につかないので、業界は異なっていてもマーケティング職の経験がないと厳しいのが現状です。
また、業界経験者は業界知識があるため優遇されやすい面もありますが、フォーキャスティングやブランディング、データドリブンマーケティングなど、戦略に深く関わった経験や新製品の上市経験を持つ人材は高く評価されます。
また、アンメット・メディカルなどの新時代のニーズの発生を背景に、これまでのマスマーケティングではできなかった潜在需要を掘り起こすスキルやセンスが求められます。
英語スキル
製薬会社のマーケティング職求人の多くは、外資系企業によるものです。そのため、英語力は必須ですが、求められるレベルはポジションによって変わります。
ディレクタークラスであればグローバルな折衝や交渉ができる、ハイレベルの英語スキルが必要です。チームで仕事を進めるアソシエイトクラスは、直ちに高いレベルは求められません。入社後にブラッシュアップする意欲があれば問題ないでしょう。
ただし、製薬に関する英語の論文読解は必須なので、リーディングは磨いておく必要があります。また、人口が減少する傾向の先には海外マーケットの重要性が高まるのは確実なので、リーディング以外も含めて英語力スキルの向上は重要です。
デジタルスキル
従来ではMRが医療機関を訪問し、医師との面談の席上で自社製品のプロモーションや情報提供を行うのが一般的でした。しかし近年では、さまざまな理由から法令によってMRの医療機関訪問や面談に規制がかかるようになりました。
それまでのMRの活動に代わって、インターネットを通して情報提供を行う「eディテーリング®」というプロモーション方法が普及しています。
加えて、コロナ禍によってさらに訪問規制が強化されたので、各製薬会社は、デジタルマーケティングへの取り組みを一段と進めてきました。今後は製薬業界でも、さまざまな顧客接点を活用する「オムニチャネル戦略」が重要視されるでしょう。また、機械学習を活用した精度の高い需要予測や営業戦略策定の技術が進めば、マーケティングの仕事も大きく変わります。
そういう背景から、製薬会社のマーケティング職には、アクセス可能な膨大なデータをマーケティングに有効に使うための、デジタルスキルやデジタルリテラシーが強く求められます。
マネジメントスキル
マーケティングという多面性を持つ仕事に一貫したテーマを持って取り組むためには、マネジメントスキルが欠かせません。マネジメントというとピープルマネジメントが中心と思われがちですが、それだけではありません。たとえば単独で取り組む仕事であっても、その仕事にまつわるさまざまなタスクを並行して進めてゴールを目指すには、自走するための能力、および他部門と連携する能力も必要です。
それぞれを補足しておきましょう。
自走する能力
製薬会社で新薬を上市する際に、大人数のチームではなく、ひとりもしくは少数精鋭でローンチまで持っていける能力をもった人材が求められる傾向にあります。
極論でいえば上司に頼らず、部下に任せずとも自己完結できるプレイングマネージャーのイメージです。マネジメントスキルの中でも「自走する能力」があれば、採用に有利となるでしょう。
他部門と連携する能力
マーケティングという仕事は、決して自分の部署だけでは完結しません。営業部門や開発、広告などのさまざまな部門と連携を取って大いに巻き込みながら、進進していく力が求められます。
各部署と良好なコミュニケーションをとりながら、有機的に連携する能力があれば、採用に有利となるでしょう。
製薬会社マーケティング職のキャリアパスの選択肢
製薬会社のマーケティング職でのキャリアパスに、どのような選択肢があるかを見ていきましょう。
まずはマーケティング部門で実績を上げてゆき、マネージャーやディレクターなどの管理職を目指す道があります。実力次第で経営幹部(役員)や経営トップを目指せる場合もあるでしょう。
マーケティング職としてキャリアアップを目指すためには、英語力をビジネスレベルにブラッシュアップしたり、MBA取得にトライしたりして、人材価値の向上を図るのも有効です。
また、マーケティングを通して得た知見を活かして、広告宣伝部門、製品企画部門、経営企画部門、ライセンシング担当などの他部門に新たな舞台を見出すことも可能です。
転職で製薬会社マーケティング職を目指すキャリアプラン例
転職によって製薬会社のマーケティング職を目指す場合、業界経験も職務経験もない状態ではポテンシャル採用も適いません。やはりMRや製薬経験なしでBM(ブランドマネージャー)/PM(プロダクトマネージャー)職に直接入るのは難しいと言わざるを得ません。
ただし、異なる業界であっても、マーケティングの仕事に関わることで可能性を高めることはできます。「デジタル」「データ」「戦略」スキルを強みにすれば異業種からの参入は可能で、実例もあります。
対象となる分野は違っていても、本来マーケティングの基礎となる部分(市場分析・仮説・検証)は同じです。その上で、新時代に欠かせないデジタルマーケティングやデータドリブンマーケティングを実践の中で学び、経験しておけば一定のアピール効果を得られます。以下に異業種からの転職の実情をまとめます。
ハードルが高い理由
医薬品は薬機法や適正使用情報に基づいてプロモーションを行うため、医療・製薬独特の規制知識が必須です。また医師や学会との関係性理解、処方実態の把握は他業界では得られない経験値です。
それゆえ専門性が高く、MRや製薬業界経験が重視される傾向にあります。ポジション数も限られており、特にBM/PM職は1製品あたり数名の体制であり、新規の採用枠が狭くなります。
異業種からの転職可能性があるケース
監修者の経験上、以下の異業種からの転職ケースも見受けられますので、当てはまる場合は可能性が高まります。
製薬案件(市場調査、新薬上市支援)を経験している人は採用されるケースがあります。データ分析、調査設計のスキルは業界横断的に活かせるため、マーケットリサーチ/アナリスト系のポジションで採用可能性があります。
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成功事例のイメージ:
コンサルでオンコロジー市場調査を担当していたAさん、その経験を活かして製薬会社のマーケットインサイト部門に入社
データ解析やデジタルマーケ力を持つ人材、特にデジタルマーケティングやMA(Marketing Automation)、CRM活用、オムニチャネル設計のスキルは製薬でも不足しているため、デジタルマーケティングポジションで歓迎されやすい傾向にあります。
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成功事例のイメージ:
- 消費財メーカーでデジタル広告を統括していたBさん、外資製薬の「デジタルマーケ担当」として入社 → 数年後BM(ブランドマネージャー)へ
- 医療機器営業で学会企画や臨床医とのリレーションを積んでいたCさん、製薬マーケにキャリアチェンジ
グローバル本社とのやり取りや戦略策定能力を評価され、ビジネスディベロップメント/アライアンス担当としてポテンシャル採用につながる場合があります。
製薬会社マーケティング職のキャリアパス
ここからは、異業種からではなく、製薬会社のMRからマーケティング職、さらにそこからのキャリアパスを見ていきましょう。
典型的なキャリアステップ
- 担当領域や施設で処方拡大の実務を経験
- 優秀者は「営業所長」「本社出向(マーケ補佐)」のチャンスあり
- 特定製品のマーケ責任者
- 資材作成、講演会運営、KOLマネジメントを担当
- 領域単位での戦略立案、数十億〜数百億円のP&Lを担う
- 営業部門やメディカルとの調整役
- 領域単位での戦略立案、数十億〜数百億円のP&Lを担う
- 本社グローバルマーケ、GM(ゼネラルマネージャー)、メディカル機器やコンサル業界への移動も多い
まとめ
製薬会社のマーケティング職は、MR → BM → ディレクター → BUヘッド → グローバル/他業界 という道筋が一般的ですが、領域やタイミング次第でキャリアの広がりは大きく変わります。特に「新薬上市」「オンコロジー経験」「デジタル活用力」がキャリアアップや転職での大きな武器になります。
異業種から製薬会社のマーケティング職を目指す場合には、いずれの業界であってもぜひマーケターとしてのスキル・経験をその業界でのトップと言えるようなレベルまで積んでおきましょう。なお、選考対策としては異業界である製薬業界についての研鑽を深めておくことも大切です。
この記事の監修者:坂上田雅彦さんのプロフィール
大手外資系製薬会社で約20年間勤務し、そのうち営業課長職を3年、営業部長職を12年歴任。在職中に社内でコーチングの基礎を学び、現場ではのべ2,000人以上の部下やメンバーとの対話を通じて、実践的な支援と育成に携わる。
その後、ベンチャー系製薬企業にて営業本部長を務め、マネジメントと人材開発の新たな領域に挑戦。これらの経験を通して培った知見と、対話を重ねる中で得た直感的な気づきをもとに、コーチングとメンタリングを組み合わせた独自の「Evolvance Co-Mentoring Method(ECMM)」を確立し、現在はエグゼクティブ・コーチング「株式会社ISTINA」の代表取締役社長として活躍中。
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