ビジネスプロフェッショナルの先輩の人生を振り返り、最もチャレンジングだった場面はどのような状況か。その時何をして、何が起きたか?などのエピソードを通じて、キャリアプランニングのヒントにしていただく「人生年表」の連載企画。今回は、MRからキャリアをスタートし、起業を模索する中での失敗や実力不足、派閥争い、母子留学による日本単身生活、製薬業界における大型のM&Aなどに翻弄されながらも、40代でMBAチャレンジ、ボランティアとしての就活サポートなど、挑戦することを続けた結果、気が付いたら、外資バイオベンチャー企業の日本法人ディレクターになっていたという、山本亮氏にインタビューさせていただきました。
インタビュアー:タリスマン株式会社代表 盛内文雄/同社転職コンサルタント(製薬・ライフサイエンス業界担当) 根津智成
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目次
山本氏の経歴について
ーー 山本さん、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします 山本亮と申します。生まれ育ちは大阪でして大学卒業後、2002年に日本の会社の製薬部門に入社をしましてMRとしてキャリアをスタートしています。
その後、外資系の製薬会社をキャリアアップというのか、ステップアップというのかわかりませんけども、複数転職しまして、その会社が武田薬品に買収されたところで名のある会社は卒業しています。
その後、日本のスタートアップベンチャーに就職をして現在に至っております。
2002年から2009年まで「方向性がなく、模索の時代」
ーー 山本さんのこれまでの出来事を年表で振り返りたいと思います。まず、2002年から2009年までのお話ですが「方向性がなく、模索の時代」ということですが。
浪人も留年もして、同い年の同級生よりは少し遅れて社会人生活をスタートしたので少し焦りもありましたし、同期が年下だったりもしますので、「取り返さなきゃ!」 みたいな活動がすごく多い時間だったような気がします。
社会に入ってから、仕事しながらもずっと自分が何に向いていて、何がハマるのか、何に向かって生きていくのか、みたいな目的を探してたような感じがします。
なのでその中で起業してみようかとか、投資してみようか、みたいなチャレンジも、結構沢山させていただいたなと思います。
ーー 最初に入社されたのが、日本化薬さんでMRとしてキャリアをスタートし、その後ファイザーさんへの転職。一方で起業を含めた色々な活動もスタートされていたということですけれども、ビジネスはビジネスでうまくいっていて、さらに起業もしようか、という状況だったんでしょうか?
そうですね、うまく転職できたっていうのもありますし、転職してからも色々模索しながらビジネスそのものは一生懸命取り組んでた方じゃないかなと、今振り返ると思います。
すごく生意気な20代だったような気はしますけれども(笑)、おそらく皆そういうものだろうと思います。
ちょうど2002~2004年ぐらいというのはITバブルがはじけたか、みたいな時代だったので「起業」という言葉も結構踊ってた時代でもありましたので、若気の至りで、自分たちもそんなことができるんじゃないか、みたいなことを友達と含めてよく言ってたような気がします。
ーー ネットワーキングイベントへの参加はあることだと思うんですが、一方で主催をする、イベントを作ってやっていくみたいなところは、ビジネスマン全員がそこまでのバイタリティがあるかというと、そうでもないのかなと思うんですけれども。これはどういう意図で作られたんでしょう?
自分で参加をしてみてよく思ったのが、結構だまされるじゃないですか(笑) いかがわしいものもたくさんあって(笑)
玉石混交というんですかね、何がダイヤモンドであるかわからない中で、自分で作っちゃったほうが実りのあるようにできるんじゃないか、と思って主催し始めたのがきっかけでしたね。
ーー 振り返ってみると、どんな時期だったと思われますか?
根拠のない自信があった20代、20代後半から、がむしゃらにやりながら自分を大きく見せようと取り組んでいた時期だったかなとは思います。何か実りが大きかったかと言われてしまうとちょっと分かりませんが(笑)。
2010年から2018年まで「外資製薬企業をホッピング」「MBAにも挑戦」
ーー 2010年〜2018年のところに入っていきたいと思います。ここでは「外資系企業をホッピングする」と書かれていますけど、3社を経験する中でMBAにもチャレンジされたりグローバルなキャリアを意識し始めたのがこの時期ということですが、海外で活躍してみたいというのが前提としてあったんですね。
なので実はファイザーを選んでるのはあります。すごく浅はかで、外資系に行けばそれが叶うんじゃないかと思っていました。
今思うと、普通に日系にいた方が多分叶ったんだと思うんですけども。なので、ファイザーに行ってから後半は結婚をして家族ができて、その中で海外を目指してグローバルキャリアを築いていくためには何をしたらいいのか、みたいなところを思い悩みながらチャレンジしていた時期だったかなと思います。
ーー 外資系企業を経験される中で、やはり英語の部分のチャレンジもあったり、MBAに挑戦された動機もそういったことからなんでしょうか?
まず一つが、グローバルキャリアを築いていくために何が必要かというのを逆算したことと、40代に向かっていく中で僕自身のキャリアはセールスの叩き上げだったっていうのが大前提としてあったんですね。
セールスの叩き上げが何者かになろうと思うと、掛け算がないとグローバルキャリアとして上がっていけない、築けない。じゃあ何が必要かっていう中で、MBAのチャレンジと英語だと、その時思いました。
ーー 英語に関しては、それまではお話しになることはビジネス上ではおありだったんでしょうか?
なかったです。なんだったらファイザーの時に社内留学させてもらってたりとか、なんていう機会もありましたし、何かやらなきゃいけないなと思って自分で勉強はしてたんですけども、やっぱり使わないのでなかなか身につかない、自分の中でもあまり焦らないっていう中で、ずっときちゃったというのがありましたね。
ーー 外資系に入ると、製薬の業界ではMBA、英語っていうのは結構必須なんでしょうか?
必須かと言われてしまうと、別になくてもいいものですが、穿った見方をすると英語が喋れてMBA持ってる人たちが偉くなってるイメージがするんですよ(笑)
特に外資系は多いかもしれないです。我々のような叩き上げの営業できている人からすると、海外のMBA行って英語がペラペラと喋れる人たちがポロンと来て偉くなってる、みたいなシーンをすごく見てきたので、だったら同じものを持ってたら偉くなれるのか? という感じは単純でしたけれども、ありました。
ーー MBAを取られるというモチベーションのお話をお伺いしましたけれども、どんなことをされて、何がしんどかったとか、その辺のお話もお伺いしたいなと思います。
実はMBAにチャレンジするのは準備段階から含めてすごく時間がかかっていまして。
普通は英語を勉強して、入学試験の準備をしてアタックすることが、周りの人たちに聞いても多いんですけども、何も準備しないまま先に受けちゃったんですね。で、中途半端に通っちゃったんですね(笑)。ただ、一つコンディショナルと言われる部分で入学するまでに英語のスコア出してねって言われたんです。これが実はかなりきつくてですね、海外のプログラムだったんですけども、なかなか期日までに出せない。
「1年、ごめんなさい、延期してください」とまで言ったぐらい。すごくストレスがかかってですね(笑)
言い訳するわけじゃないですけど、やっぱり業務と並行してたので、なかなかそこに力が向けられなくて、結果的に1年延期したにも関わらずスコアメイクができなくて、「さあどうしようかな」と思って、別のとこ受けたんですね。それもまた通っちゃったんで、結局そこに行くことになったわけですけども(笑)。
だから卒業するまで苦節4年、5年弱かけていきました。何が大変だったかっていうのは、もちろんやっぱり英語ですね。準備段階で非常に苦労したのと、入ってから特にネイティブのメンバーとやるのは、どの学校に行ってる人たちに聞いても同じですけれども、なかなかついていけない、自分の言いたいことが言えない。20代の若いネイティブの人らに馬鹿にされるような2年間は、やっぱりつらかったかなと思います。
ーー MBAを取る時に、英語の部分でのディスアドバンテージはあると思うんですけども、逆に何かアドバンテージになるものとして、例えば社会人経験とか、今まで実績を出してきたみたいなところが学術的な知識を吸収する上で他の人よりも身についたんじゃないか、とかそういう実感はあったりするものですか?
実は入学の時には、かなりアドミッションからそれは言われました。バックグラウンドがあるというメリットを評価してもらえたっていうのは、年齢いってから入るメリットではあるかな、というのと、あともう一つ、私が行ったスクールに関しては日本人がかなり少なかったので、ダイバーシティーという観点では、年齢と国籍をちょっと加味してもらえたというのがありました。
入ってからは正直あまり感じなかったですね。ただ、みんなそれなりの企業出身者、もしくは企業派遣の方たちもいましたけれども、お互い企業のことを意識しながら学ぶことができたというのはあったかなとは思います。
派閥争いと投資の失敗
ーー この時期にもう一つ、派閥争いみたいなこともおありだったとお聞きしているんですが。
これはもうどの会社でも、どの業界でもきっとあるんだろうとは思うんですが、どうしても外資系なんていうのは、外から人が集まってきて、それが集団になってみたいなのは、どの会社も実際ありました。やっぱりマジョリティーの方が強くなったり、群れてしまってるようなことをよく見ていましたので。
そこに本当は混ざれば良いんでしょうけども、なかなか混ざりきれないっていうのもあって。あまり社内政治的にうまくいかなかったかなというのが反省でもあり、振り返りでもありますね。
ーー 営業としてある程度数字も求められると思いますし、さらに社内的な人間関係の部分もあって、それと別にMBAや英語も勉強されるって、両立がものすごく大変そうな気がするんですけれども。
今振り返ると、社内的なことは正直諦めていた時代だったかなとは思います。というのも、結婚をして子供が生まれて、ある程度手がかかってみたいな状況の中で、自分のこともやらなきゃいけない、仕事にも取り組まなきゃいけない、となると一番犠牲にしたのが社内的なこと。例えば先輩、上司に誘われて飲みに行く、ご飯食べに行くみたいなことを、ほぼほぼ諦めてた時代だったかもしれないです。
だから派閥争いに負けるんだとは思いますけども(笑)
ーー (根津)個人的にちょっと気になったのが「投資案件の失敗」ってあったと思うんですが、ここは踏み込んじゃって大丈夫ですか(笑)?
MRさんは結構、不動産の電話がかかってくるみたいな話もよく聞きますし、なんだかんだ優良な相手なのかもしれませんが、例に漏れず、私もそのような案件に乗ってしまい、うまくいった部分もありますし、失敗しちゃった部分もあった、というのがその辺りの期間でした。
ーー (根津)これまでの経験をもとにこれから投資に興味を持っているMRさんや製薬業界人に向けてのアドバイスとかってありますか?
投資云々なんていうのは結局プロがいるわけなので、きちんと勉強した人が勝つんだろうと思いますし、片手間ではなかなかできないなというのが正直なところではあるんですが、その失敗から僕が学んだことは結局、営業ですので、足で稼げる人たちなわけですから、失敗したら失敗したでリカバリーの行動をできれば怖くないんじゃないかなとは思います。
就活サポートのボランティア活動にかける想い
ーー 同時に、プライベートでは大学生や社会人の方向けに就活のためのサポートを始められたりしますが、この辺りの動機や、それを現在も継続している山本さんのお考えをお聞きしたいのですが。
2010年ぐらいから始めて、今も継続してますので恐らくもう12年、13年というところだと思うんですけども、きっかけは、ちょうどその頃って就職の氷河期みたいな、学生さんにとってつらい時期だった。ニュースとかでも就活結構厳しいですよ、みたいなことが飛び交っているような時代で。ただ、働いてみると分かると思うんですけども、就活って社会にエントリーするための儀式でしかないのに就活うまくいかないから自殺するような話ではないはず。
それをきちんと大人が教えてあげないといけないんじゃないか、大人がきちんと導いてあげた方がいいんじゃないか、みたいなちょっとした使命感を持ちまして、自分ができることは何かなというと、この業界の話を学生さんにしてあげて、こんな業界で仕事すると面白いよということが伝えられればいいんじゃないかな、というところで始めたのがきっかけです。
この業界の話を面白おかしく話していると、やはりこの業界を目指してくる学生さんが毎年のようにご相談に来られて、そのサポートをしているわけなんですけども、気づけば僕も始めたときより年もとって、自分の息子か娘かみたいな子たちに話すわけですけれども、冷静になってみると、この年齢で20代前半の学生さんと話す機会っていうのはあまりない。新卒の人たちがポンポンポンポン自分の部下やチームになるかっていうこともない中で、やはり20代前半の人たちと直に話をして、彼らがどういうふうに考えて、どういうふうにキャリアを歩みたい、どんな仕事をしたいと思っているか、を直接聞くのは僕はすごくありがたい機会と捉えていて、今も継続をさせてもらってます。
2018年から2021年まで「大型M&Aに巻き込まれる」「スタートアップへの転身」
ーー それでは2018〜21年に移りたいと思います。シャイアー買収による武田薬品への転籍、その後にスタートアップ企業に転職するまでの出来事についてですが、買収によって起こる社内環境の変化とか、ご自身の立ち位置から感じられたこととか、なかなか若手の方だと分からない部分もあると思いますので、お話いただけますか?
2000年1桁台は、製薬会社も結構M&Aや買収の話が多かったので、その当時を経験している方々は多いとは思うのですが、最近はそういう話もなかなかない中で、大型の買収劇にまさか自分が遭ってしまい、バリバリの外資から日本でも優良と言われているような超日系の企業に行くという、なかなか珍しい経験をさせてもらったかな、とは思います。
武田薬品というところは生え抜きの方々も多くて、タケダというブランドをすごく愛している方々が多い中で、僕みたいなジョブホッパーが行くとすごく珍しがられる。カルチャーそのものを含めて教育されるような機会がありました。
戸惑いもありましたけれども、新しい発見もすごく多かったですし、刺激の多い時間だったかな、と感じています。
ーー 外資系企業から日系の大手に移られることで、日々の仕事の内容や仕方が変わることってあるんでしょうか?
根本的な業務というものは特に変わるわけではないんですけれども、ただ、仕事のやり方や、成果を出すための向かい方みたいなのは、やはり企業カルチャーによって全然違います。その辺をお互い理解しあうには、苦労も時間もかかったかなとは思います。
ーー 山本さんの場合には、キャリアの最初は日系企業で、その後に大手の外資系企業であるとか、スタートアップを経験されてらっしゃるので、逆にいうと、ものすごく対応幅が広かったからマネジメントとしてもご活躍されたっていうことになるんでしょうか?
そうですね。こちらはどちらかというと色々なカルチャーを知ってたりするんですが、日系企業の方はあまりそのレセプターがないので、こういうカルチャーもあるんだよっていう話をしてもちょっと理解ができない。逆にそれを面白いと思ってくれるような人たちも沢山いましたけども、「何を言っているかわかんないんですけど」っていう話も多かったかなと思います。
ーー (根津)僕も当時、製薬業界で転職エージェントを始めていたのですが、相当大きな買収でしたね。今バイオベンチャーも日本で増えてきて、もしかしたら明日、自分たちも買収されるんじゃないかと不安を抱えている方も中にはいらっしゃると思うんですけど、実際(買収)された立場として、どういう心境だったのかを率直に伺えますか?
会社がなくなって即刻その場で解雇される、ということは基本ありませんので、買収されることに対する不安というのはあまりないんですけども、一番みんな感じたところは、「給料が下がるんじゃないか」みたいな不安の方が多分大きかったんだろうと思います。ただ、これはどの会社でもそうですけれども、ある程度移行期間がありますので、悲劇的なことにはなってはいないと思います。
母子留学という決断
ーー プライベートの方では母子留学というのがあって、山本さんが単身生活をする形になったということですけれども。
2018年ですね。息子が二人いるんですけれども、小学校4年生、1年生の時に母子留学をスタートして、今現在も継続をしています。私自身が日本で一人で出稼ぎをしているような状況です。
ーー それは山本さんのこれまでのキャリアや奥様のお考えもあって、早めに海外に出た方がいいんじゃないか、ということなんでしょうか?
実はここも2つぐらい確固たる理由というか、家内と考えたことがありまして、まず一つが、自分たちの子供が大きくなった時に日本の教育だけで育った子供たちが世界に出て戦えるのかどうか。世界に出て戦う必要性があるかどうかというのは置いておいて、グローバルレベルで活躍できるような人材になり得るのかどうか、を考えた時に海外へ出て学ぶという機会があってもいいんじゃないかっていうのがまず一つ。
あともう一つが、いわゆる受験。東京を含めた首都圏に住んでますと、やはり受験熱が高くて年々スタートする年齢が低年化してる。小学校4年生が3年生になりみたいなところがある中で、自分たちの子供がそこに向かうのかどうかって考えた時に、あえて受験に突っ込まずに海外で多国籍な子供たちと一緒に学ぶという機会を与えてもいいんじゃないか、というところで決断をした次第です。
ーー 武田薬品を辞められる時にプライベートでは母子留学もあって、両立を考えた時に判断に迷うっこともあったと思うんですけども、この辺の決断をされる背景みたいなものも教えてください。
これは先程ちょっとご質問もいただきましたけれども、我々は買収された側だったというのが、ちょっとやはりネックというか、不安として実はありました。どの会社でも買収、合併した時は移行期間があるっていう話なんですが、それはつまり切れる時もあるわけですね。何年経ったらこの保証はなくなりますよ、というような話も我々はされてましたので、その後の自分のポジション、キャリアの保証はどうなるのかっていう不安がありました。であれば、新しいチャレンジをしておいた方がいいかな、というふうに思ってチャレンジした次第です。
2022年〜現在「0→1の立ち上げを経験」
ーー 最後に2022年から現在までということで、今はファーマのグローバルベンチャーで日本法人立ち上げのスタートアップに参画されていて、ディレクターでいらっしゃるということですよね。
日系、それから外資系に転職をされて先程の買収の話もあって現在この立ち位置にいらっしゃる。この辺のお話もお伺いできればと思います。
今、全く0から組織を立ち上げる会社でディレクターとしてやらせていただいております。何もかもがあった会社から、何もかもがない会社におりますので本当に0→1でいろんなものを作り上げている。まだまだ道半ばで、試行錯誤する毎日でいくつもの帽子をかぶらなきゃいけないし、手が2本では足りないぐらいの業務をしてはいますけれども、患者さんのため、顧客のため、社員のため、何か役に立てないかと奮闘しているところではあります。
ーー 色んなことをしなきゃいけないということですけれども、これまでのお話を伺っていると、営業マン時代にイベントを開催したりとか外資系で成果を出さなくてはならない時に、社内派閥もありながら、MBAに挑戦したりとか、買収があるタイミングで管理職を経験されてたりと、本当にいろんなご経験をされてきたから、今のポジションにつけているのだと思いますか?
ポジション云々に関してはめぐり合わせですので、運というものの方が強いのかもしれないですが、ただ業務そのものに関しては今おっしゃっていただいたように、今までの経験があったからやれている部分、こなせている部分というのはすごく大きいですし、おそらくこれからもそうだとは思います。
ーー 外資系の立ち上げに参画されるということは、その後にどういう状態になっていくか、みたいなところも検討しながら転職されたんじゃないかなと思うんですけども、どういう方と出会われてここに転職しようと決められたとか、機会みたいなものはありますか?
2010年代ぐらいからですかね、私は希少疾患領域にずっと従事をしてますので、やはりお薬がない、治療法がない患者様のために会社として、個人として何ができるかっていうところに非常にフォーカスをさせてもらってます。
現在の会社でも同じでして、我々が扱っているお薬を困っている患者さんにどうやって届けていくか、どうやって広げていくか、転職をする時に決める大きなポイントになっていたかなと思います。
プラス、どういう人かというのはやはり同じ思いを持ってる人たちじゃないと、このビジネスは成功できないし、先ほどもありましたとおり、0→1ですので何もないところから自分たちで創り上げていくという努力ができる方。なおかつ、自分自身でセルフドライブができる、傷ついても自分でメンテナンスできるような人の方がお互い力を出し合う、切磋琢磨できるような環境になっていくかなと思い選ばせていただいています。
バイオベンチャー・スタートアップで働くということ
ーー 人を採用する立場でもいらっしゃると思いますが、採用する立場としても、今のようなポイントが重要だとお考えでいらっしゃいますか?
まさにその通りでして、ベンチャーでやってみたいとか、自分自身で全部やってみたいと言われる方は、僕自身もそうでしたけど、若い方でも沢山ご要望いただくのですが、本当に0から1になると、逆に何もできない方っていうのも実際多いんですね。例えば一つのシステムから含めて、何もかも用意されているのが大手企業の良さでもあるわけですから、それが全くなくなった時に何ができるかっていうところまで覚悟ができているかどうか、っていうのがすごく大事かなと思います。
ーー (根津)おっしゃっていただいたように、若い方、30代半ばで「日本法人立ち上げ」とか「スタートアップ」っていうキーワードに惹かれる方が今すごい増えている印象なんですね。正直、僕もそういったスタートアップ企業で働いたことがないので、色んなスタートアップで働いてこられた山本様だからこそ感じられるぶっちゃけたところの陰と陽じゃないですけど、ポジティブ面と、ネガティブ面両方を教えていただきたいなと思います。
実は今おっしゃられたようなスタートアップベンチャーでも結構幅があるというふうに自分の経験からも思います。大きなスタートアップベンチャーもあれば、マイクロなちっちゃなスタートアップベンチャーもあって、私が今働いているところは、どちらかというと全くないマイクロの方ですが、いわゆるベンチャーの中でも大手と言われているところは、残念ながらもうシステムも綺麗に出来上がってそれだけの人もいて、投資もされてますので、あまり大手にいる環境と変わりがないかなと思います。ただ、人が0から集まってくるわけですので残念ながらそこにもやっぱり派閥が生じてしまうっていうのが現状としてあるかなと思います。
あともう一つ、スタートして2年、3年経ってくるとやっぱり人って2回転、3回転していくわけですね。どのタイミングで入るのがいいのかっていうのが、すごくデメリットというか難しいポイントなんじゃないかなと思います。メリットの方が後になってしまいましたけど、大きかろうが小さかろうが、ベンチャーに関しては自分がやらなきゃいけない幅というのはすごく広くなりますので時短で色々な経験ができる良さはやっぱりベンチャーならではなのかなと思います。
まとめ:過去の自分へのアドバイス、キャリアにおける成功とは?
ーー 最後にまとめの方に入っていきたいと思っておりますが、過去の自分にアドバイスをするとしたら、どのように声をかけられますか?
あまり失敗を恐れずチャレンジすればいいんじゃないかな、というふうに思いますし、特に20代半ばぐらいまでで色々な旅行をしたときによく思いましたけども、ゴールそのものはあまり(どうでも)よくて、やっぱりプロセスの方をすごく旅行中も楽しんでたかな、と。それは本当に仕事でも同じようなことを今まで思ってますので、どんな苦労があってもそのプロセスを楽しめれば結果はつながるんじゃないかな、と若い自分には言いたいです。
ーー キャリアにおける成功を、ご自身なりにどう解釈してるかとか、やりがいとか幸福感が高まる瞬間はどういう瞬間ですか? っていうような質問もあるんですが、今お話しいただいたことがそういったところに繋がってくるっていう感じですかね?
そうですね、何者かになるかっていうのは、もちろんゴールがあるわけではなく、この先これからのキャリアも人生も多分チャレンジし続けなきゃいけないんだろうと、探索し続けなきゃいけないんだろうとは思いますし、何者かになりたいんだったら、自分がやりたいことをやり続けるしかないんじゃないかなと思います。その時の選択というのが合っていようが間違っていようが、やったことが結果としてつながっていくんだろうと思います。
就活の相談に来る学生さんにもお話はしてますけれども、やりがいってどこにあるか、もちろん社会的な使命や社会的課題に取り組むということはすごく大事なことですし、それに取り組む人生というのは素晴らしいことではありますが、いち社会人としてはそんなに大きな話ではなく、自分と自分の周りの大切なもの、人とかに幸せでいてもらうために努力し続ければいいんじゃないかな、とすごく思う次第です。
そのためには、あまりストレスフルであってはいけないかなと。これは特に若い頃からすごく経験上思ってまして、なるべくストレスは溜めずに吐き出すこと、どんどん出していくこと。何か失敗があっても問題があっても、特に我々は営業ですので、足で解決できるんじゃないかな、いつも思います。それが何かしらのゴールに向かっていくのであれば、その過程を楽しめればいいんじゃないかな、というふうに思って懸命に生きてます。
本インタビューの動画版を以下よりご視聴いただけます
インタビューを終えて
タリスマン株式会社代表 盛内文雄
お話をお伺いして、短期の売上やKPIと毎日追っかけっこしているような営業の仕事や、働いている会社が買収されるなど、山本さんの生きてこられた目まぐるしく変化する外資系製薬企業の環境と、その中においてもぶらされずに「過程を楽しむ」、「中期的に努力を積み上げていくんだ」とお話しされていた山本さんのお考えの部分のコントラストがとても印象的でした。これから製薬企業やライフサイエンス系スタートアップ企業を目指される方は、一度山本さんとお話をされてみると、新しい気付きを得られるかもしれません。